「今日の日は〜」の外周あたりをぼんやりと

年休貰って、溜まった洗濯ものを片づけつつぼんやりとHDDの編集を。
とはいえ、24時間テレビの本編には手がつけられなくて、まずは他の録画(ドラマとかバラエティとか)を消化して削除したり、かな。

でも、合間合間に思い出すのは、やっぱり耕太くんのことで。
もう眠いので、ぼんやりしたことだけ書き残しとこうかな。

TVガイドの企画でスタッフさんに質問してたヤツでさ、
チーフ助監督の山田さんって方が、智さんを評して『ちょっとした言い方でお芝居のニュアンスを変えれる方』って言ってらして。
そのときも、「うんうん^^」って思って読んだんだけど、
「今日の日は〜」を観て、「ほんとにそう!!!」ってあらためて思ったの。「このことを言ってたのか!」って。

何度か出てくる耕太くんのセリフ・・・「じゃあね。」、そして「晩ご飯、なに?」。
同じ言葉だけど、本当に微かに変えてるだけなのに、全然違うんだよね。
同じ言葉なのに、胸の内にさざめいてる感情の違いがわかって、しかも、その気持ちは1つの単語だけで名前がつくようなものじゃなくて。いろんな葛藤がいろんな分量でないまぜになってるのが、微かに、でも確かに、透けて見える。
眸の色から、声から、言い方から、伝わる想い。

智さんのお芝居を「憑依型」なんて評されることが多いけど、そうじゃないんじゃないかなと私は思ってて。
いわゆる「憑依型」って、役者さん自身に、その「役」が降りてくるというか憑いてくるみたい、って意味でしょ?
でも、智さんのお芝居って、違うんじゃないかなぁって。
お芝居の仕事に入るときの智さんって、想像して想像して人物像を立体的に(物理的な3Dって意味合いじゃなくて、その人の積み重ねてきた毎日の厚みって意味で)自分の心の中で生み出して、そうして出来上がった役を心の中に棲まわして、智さん自身がその役に寄り添って寄りそって、ついには1つに重なってしまう、みたいな。
「憑依」って言葉をもし使うのならば、「役が智さんに」憑依するんじゃなくて、「智さんが役に」憑依する。もう1つの人生をまるごと生きる作業、なんじゃないかなって。

・・・・なんてことをぼんやりと考えたり。
ぼんやりする時間があったら、リピートとか編集とかすればいいのにね、えへへ^^ゞ

【2012年の今日はこんな日でした】